行った日:2001/10/24〜10/29

平泉・松尾八幡平十和田湖・奥入瀬蔦 温 泉青 森弘 前

「東北」と行っても広いです。
今回、飛行機を使わないことにしたので、えらい大変でした(汗)。
東京方面からはバスがたくさんでていますが、関西はバスだったら仙台が北限。
夜行は高い。。最初、帰りは秋田から船がでているのでそれに乗って帰るつもりでしたが、そうすれば、丸一
日船の上になるのでそれはそれでいいけど東北で楽しむ時間が減るので、夜行「日本海」を使って帰ることになりました。
それと、移動も交通機関を使うというものなので、電車もバスも本数が少なく、行きたいところがあまり行けな
かったりしました。とにかくメインを「十和田湖」としてそれに向かって計画を練る、というカタチにしました。

10月24日:京都〜仙台
今日の夜から行く〜うれしい(^o^)
きつつきの北限は、新潟県大潟まで。それより北へ行くのは初めてで嬉しい。東北は温泉も有名と聞く。タノシミだ〜(^o^)
夜、9:30に京都駅から仙台へ行くバスに乗る。いすはゆったりとしているが、車輪の上の席だったせいか
結構ゆられてる。

10月25日:仙台〜(バス・電車)〜平泉〜(電車)〜松尾八幡平
早朝7:30に仙台到着。バスの中が寒かったのと、やはり仙台。かなり寒い。
最初盛岡で遊ぶつもりだったが、急遽平泉へ行くことに。仙台発一関行きのバスに乗って1時間半。
全く仙台は初めてなのに通り過ぎただけ・・もっと遊びたかったよぉ(T-T)
一関到着。ここから平泉まで電車で二駅。殆ど電車はないのだが、乗り継ぎが良かったのですぐに乗れた。

平泉へ
平泉到着。・・恥ずかしながら平泉は宮城県とばかり思っていたが、岩手県だった。。。”地図の読めない女”を露呈する。
平泉は小さい町という感じ。歩いて中尊寺まで行くことに。途中、義経最期の地高舘へ行った。
小さいお堂が一つあるだけだったが、そこの風景が素晴らしく、北上川が雄大に流れている。変に開けてないので古い時代そのまま残されている感じ。
衣川の古戦場もここから見える。それから知らなかったが、平泉にも「大文字」があるコトが判明。京都のと同じ日なので一度見に行きたい物だと思う。
義経が死んだのは身代わりで、実はすでに義経一行は、平泉をでて北上し、”蝦夷地”へ行ったという伝説があるという。真偽は別としてもそうだったらいいなぁ・・と思ってしまう。
次に、てくてくと歩いて中尊寺(1)へ行った。観光バスが何台か来ていたが、京都に比べるとやはり少ない。
だがあまり観光地化してほしくない・・そっとあって欲しいと思うのは私だけだろうか。。。勝手なことだけど・・
さて、ちょうどお昼時だったので、みやげものやの二階の店で昼を食べる。蕎麦を食べたが、ツレ殿曰く、「出汁が甘みがある」そうである。確かに関東のはまっ黒という話だが、
こっちのお汁は薄い。美味しい(^o^) それから”悲願の(笑)”ずんだ餅を食べる。これが美味しい〜〜!小豆が苦手な人はオススメだ〜!
中尊寺は、奥州藤原氏の時代に創られた寺であり、藤原氏の栄華を誇った「金色堂」も残っている。境内には武蔵坊弁慶を奉ったお堂もある。上品なたたずまいを見せている。
「金色堂」や中尊寺の宝物などを見せてくれる館に入り、奥州藤原氏の歴史を見る。
ツレ殿も言っていたのだが、宝物の中に、「天使?」と思われる羽衣ではない羽の生えた天女のレリーフが 多い。あきらかに、敦煌で見られるような天使?もある。
奥州藤原氏の時代はちょうど平安末期だから遣唐使も廃止されている。なのにこのような明らかに中国の影響を受けているとしか思えない天女・・
ひょっとするとひょっとして?東北の海から交流あったのかしらん?と変な仮説までたててしまった・・(笑)
そのあと金色堂へいった。ミイラを見たかったのだが、それはさすがに見せてもらえなかった。しかも金色堂はガラス越し(当たり前か・・)だったのでちょっとがっかり。でもすごい迫力のドキンピカだった。
平泉についてもっと知りたい場合:平泉散歩

中尊寺をでててくてく歩いた帰り道、さすがに夜行バスがボディブローのように効いてきて、へばってしまったきつつき・・
そこに天の助けのようにバスが現れた。バスの運ちゃんと心地よい東北弁を聞きながら駅まで無事行けた。
今回はじめて東北弁を聞いたけど、鼻濁音が綺麗な柔らかい響きをだすなぁと感心。鼻濁音のやらかい響きがすきなので心地よい。
さて、電車がやってきて北上し、盛岡へ。山々を眺める。全然関西とは違う。山がでかい。途中「風車?」を発見。ツレ殿曰く「風力発電」らしい。

松尾八幡平
1時間半ほど揺られて盛岡へ。ここから花輪線に乗る。松尾八幡平という無人駅で降りる。ペンションの方が迎えに来てくれていて、 車で30分ほど行く。
着いたら、そこは「ペンション街」だった。。しかも、どこも閑古鳥・・・。そう。スキーシーズンにはまだ早いのだ。 案の定、我々の泊まるペンションも貸し切り状態だった。
お風呂も温泉がでるのだが、貸し切り♪一風呂浴びてのんびりしたところで夕食。このペンションは、仏料理のシェフだったオーナーが開いたので、フランス料理がでる。
貸し切りでのんびりと美味しい料理(これが超うまかった!)を食べておなかがぽんぽこりんになってしまった・・。が、さすがに夜行バスの疲労は極限に達し、食べた後、すぐに寝た・・・。
泊まった所:クボタロッジ

10月26日:松尾八幡平〜(電車・バス)〜十和田湖〜(バス)奥入瀬・蔦温泉
早朝、7時に目が覚める。昨日の疲れが嘘のようにとれている。朝食の後、早速ペンション街の周りの散歩にでた。大きな岩手山が見える。裾がぽこぽこしてるのは、火山の関係か?でも今日の岩手山は静かだ。
空の色も美しく、木々の紅葉も綺麗でしかもこんなに綺麗なのに人がいないのもいい。ただ熊がでるそうでそれはちょっと恐かったが・・。
電車も日に何本かしかないのでそれに合わせて店の人が送ってくれた。途中、橋に行き、紅葉を見せてもらう。とても美しい。。 又川は、温泉がでているらしい。オドロキ(@o@)
無事に送ってもらい、電車に乗った。ドアは自分で開けないと行けない。車両には殆ど人がいない。がたごとと揺れる電車。この花輪線は素晴らしい線である。線路のすぐ下に小川が流れている。木々の紅葉も美しい。。素朴で静かな街を通過していく。。オススメローカル線である。
十和田南駅に着く。ここから十和田湖行きのバスがでる。

十和田湖
花輪線は、岩手から、秋田県へでる。そしてバスは、十和田湖の秋田県側へ着く。十和田湖は、秋田と青森の県境にあるのだ。
バスはのんびり〜と北上していく。景色ものんびり〜としている。ものすごい観光シーズンなのに、観光客が殆どいないのにも驚いた。 くねくねした山道を通り、ついに十和田湖が見えてきた。
ものすごく綺麗な青!青!あんな綺麗な湖みたの初めて。。。である。天気が良かったのもあって本当に「神秘の湖」にぴったりだと思った。
十和田湖に着いて、昼食を取り、湖の際を歩く。水に触れると、しっとりとして肌にぴったりとまとわりつく、まるで化粧水のような感じ。 「まろまろした水」というか・・不思議な感触の水である。十和田湖は、なぜか魚がいない。最近でこそやっと養殖で魚を育てられるようになったが 本来は「何もいない」湖なのだ。。綺麗な水なのにどうしてかな??”白川の清みに魚も住みがたし元の濁りの田沼恋しき”(ちょっと違うかも(汗))の狂歌を思い出してしまう。(というか水の事について歌ったのではないというイミも入れて(汗))
十和田湖は本当に丁度ベストシーズンで、山々の紅葉も錦のようである。海岸線ならぬ、湖岸線を歩き高村光太郎の「乙女の像」を見る。 この高村光太郎は私は苦手だが、そこにある詩をみてますます嫌いになってしまった(-~-;)

遊覧船に乗る
また歩いて、船の乗り場まで戻る。そこから遊覧船がでて、奥入瀬への入り口まで船が運んでくれる。喜び勇んで乗った。
船が出航。素晴らしい景色、錦、小さい島々。そして何よりも美しい湖水・・・。本当にこの時期来て良かったと感動した。
色々な木々の豊かな紅葉は、関西にはなく、本当に美しい・・そして天気が良かったのも本当によかった(^-^)

奥入瀬から
うっとりと美しい景色をみて船から下りたが、バスが後30分来ない。日は少し傾き始めていた。次のバス停まで15分ほどで行ける距離という事で 一駅分だけ奥入瀬を歩くことにした。川のすぐ傍には歩道がある。
川の水は、十和田湖から流れている為、やはり水は美しい。そして今度は勢いよく流れている。やや日が傾いてきているので少し道を急ぐ。 十和田湖は常に一定の水量である為か、奥入瀬の川の水も一定であるようで、川の中の岩には「コケ」がたくさん生えている。それがまた綺麗だ。
だんだん日が沈んできた。ますます足を速める。すぐ隣は道路だが、外灯がないので太陽が沈むと足下は真っ暗になる。そうなると恐ろしいので道を急いだ。
ようやく、バス停に着いた。しばらくしてやってきたバスに乗る。バスに乗る頃には真っ暗になっていて、奥入瀬には小さい滝がたくさんあるのだが、全然見えなかった。。(--;;;)でも少しでも歩けたから・・と慰める。
ようやく蔦温泉旅館が見えてきた。

キョーフの旅館
ここ蔦温泉旅館は、大町桂月という明治の文人が晩年の常宿にしていた。彼は蔦温泉旅館が気に入り、晩年は本籍を高知からここへ移した程好きだったらしい。十和田湖辺からはパンフにもバスの案内にも「大町桂月(2)」と「九條武子(3)」は繰り返し語られていた。
大町桂月の知識としては、かの与謝野晶子の「君死にたもう事なかれ」の詩を猛烈に批判したアタマのカタイやっちゃ・・と必ずしも好意的な気持ちはもっていなかった。
蔦温泉旅館は、裏が山で建物は古めかしく、レトロで風情のある旅館だった。入り口近くにある「蔦の木」が立派だった。中へ入ってもよくある旅館のパターンとしては、外はレトロで中は超近代というパターンが多い。が、ここはそのまんまだった。
仲居さんに案内してもらい、部屋へ行く。ここはランクがあり、昔そのままの(つまり大正期)部屋の本館、昭和30年代造られた別館、そして近代的な新館とあり、私たちは別館を選んでいた。
ここは、エレベータもなく(新館にはあった)、ひたすら階段でえっちらおっちら上がった。まず階段を上り、別館に至る。そして傾斜があるので渡り廊下的役割だが実際は階段であるもう一つの階段を上がり、またもう一つあがったところに部屋があった。
仲居さんもぜえはあぜえはあいいながら、「ここです〜」と言われた。。
廊下側はドアだったが、中にスリッパを脱ぐ狭いスペースがあり、そこからは襖がある。襖をあけると超レトロな部屋だった。色の変わった畳、天井は変わった造りの木が使われている。鏡台はこれまたレトロだ。左手に窓があり、今は真っ暗だがすぐ山がある。
「わぁ〜レトロやねえ」と珍しく、きょろきょろと見て窓辺へ行くと、足下に小さい虫がいた。ん?これ何やろねぇ〜とツレ殿に聞くが知らんとの事。 私は虫は苦手なのでいややなぁ〜と思ったが、まぁ1,2匹くらいいるやろと気にしないことにした。
まずは風呂!ということで、温泉に行くことにした。長い長い階段を下りて、(湯冷めせんように気ぃつけよう・・)と思いつつ、1Fまで降りた。 入ると、おばさんの二人組と私だけだった。さすが自慢にしているだけあって、素晴らしい!
お湯は色は透明で匂いも殆どないが、水があの「十和田湖」と同じ感触なのである。これは関西では味わえない・・。しっとりとした感触である。 温泉の中も檜をたっぷり使ってあって、居心地もよい。大満足(^-^)だった。
お風呂上がって、るんるんしながら帰るとツレ殿はすでに戻っていた。「お風呂よかったなぁ〜」といって、座りお茶を飲み始めた。すると・・・
「なぁあれなんやと思う?」とツレ殿が指さしたのは、、床の間(というかテレビが置いてある(^-^;))の上に「ガムテープ」が二巻置いてある。「ん?なんやろう・・なんか修理したときに使われたん忘れたんと違う?」と言った。そのときはそれで終わった。
料理が運ばれてきた。これまたレトロ・・きのこや山菜が多い。が、えらい美味しかった。きのこなど食べたことないのがたくさんあり、喜んで食べたが量がえらい多かった。。
たくさん食べた後、お膳をさげて、お布団をひきに仲居さんが来る間、私はお手洗いにいった。戻ってきたときちょうどお布団をひくところだった。 ツレ殿が私をみて小声で「あとでおもしろいことゆーたげるわ」というので「????」と思ったが、、その直後、ツレ殿でなくても「コト」は起こった・・・

こ、これはいったい・・・(ToT)
布団引きのバイトの女の子と年輩の旅館のおじさんと二人一組で布団をひきにきていた。押入をがらっとあけて、布団をだす。ころんと何かが でてきた。女の子は「あ〜またでたよ〜」となんとガムテープをむんずと掴み、ベリっとのばして切り、ぺたっと虫につけてぱちっとはさみ、ぽいと捨てた。
「・・・・・・・・・」あまりのことに声がでずにいると、ツレ殿が、「その虫はなんですか?」と聞くと、女の子は「カメムシですよぉ〜」後をおじさんが「かゆいの(蚊のコトか?)がでなくなるとでるんですよー。今年は少ない方ですよー」
あのぼろぼろでていた虫はカメムシだった。。関西のよりだいぶ小さいのでわからなかったが。。。なんか、変だなぁと思っていたが、、ぽろぽろでてきてて・・布団にまで入ってるんかい!女の子が、「何もしないですよぉ〜でも臭いですねぇ〜」そ、そ、それがいやぁなのよーーーー。
蔦温泉旅館は、カメムシ旅館だったのだ・・・超ブルー(T-T)・・その夜ちょっとした音に過敏になっていたのはゆうまでもない・・・

10月27日:蔦温泉〜(バス)〜青森
キョーフの一夜・・が、あけた・・。(その割には爆睡したけど・・(汗))。朝はやはり寒い。
顔を洗おうと外に出ると、廊下にはカメムシの死骸がず〜〜っと続いていたのはゆうまでもない・・・。
バスが10時台にでるということなので、とりあえず朝食を済ませ、バスの時間まで蔦温泉の裏手の山を散策することにした。
裏山にはいくつかの沼があり、蔦沼、鏡沼、月沼、長沼、菅沼、瓢箪沼などがある。道は綺麗に整備されてはいるが、自然はしっかりと残っており、 沼の水の美しさは本当に”鏡”のように底まで見える。大木が沼に沈んでいるのが見えて、それがとても神秘的だった。
不思議なことに、関西の池や沼なら魚がいそうなものだが、この沼にも魚を一匹も見ることができなかった。十和田湖には魚がいないせいか? 謎である・・それがまた神秘性を高めているようだ。
山を登って行くにつれて、どんどん木々の様子が、秋から晩秋、そして初冬の雰囲気をだしてきている。小さい山だけど、ほんと自然のまま残されて、大町桂月がここを愛した理由が少しわかった気がした・・。

バスで青森へ
山を降り、やってきたバスに乗り、いよいよ青森へ向かう。さようなら〜カメムシ旅館・・。カメムシはいやだったけど温泉は最高でした・・! 今度は日帰り温泉で来るね〜〜(^△^;;;;;;;)
乗ったバスは、八甲田山の麓を抜けて行くルートで、行く先々、温泉だらけだ。途中トイレ休憩で降りた温泉街は、蔦温泉とは違って硫黄の匂いがしたので水質も違うのかな?
バスに乗っている途中、カセットテープでこの辺の説明を色々してくれる。八甲田山の悲劇を延々と語っていたが、あんな哀しい事故が起こったとは思えないような八甲田の山だった。。だが、真冬になるとこのルートは閉ざされるという。。想像を絶する雪の深さだ。。

津軽海峡冬景色〜
途中、寝てしまったりしたが昼前に青森駅に到着。津軽海峡はすぐ前だ。本州の北限の町へやってきた。
ココまで来て、きつつきは調子が悪くなってしまった・・(-"-;;;;;;;)最初、民宿で泊まろうと思ったがしんどかったので気楽なビジネスホテルを 選んだ。チェックインまで早いので、アウガ地下の「新鮮市場」で時間をつぶす&お昼を食べることにする。
この「アウガ」すごいビルだ!青森駅からすぐにあるでっかいビルなのだが、上階は役所関係、中階は専門店、そして地下は「市場」なのである。 アウガに入ったときになぜか磯の香りがして「ん?」と思ったのだが、地下に降りて納得。
新鮮な魚介類がところせましと並んでいる。みたことのない魚もあり、見ているだけで楽しい。その中で、その魚を使った市場食堂があり、 早速「三色丼(ウニいくら貝柱入り)」(←しんどいんちゃうのん?)を頼む。美味しい!!!(^▽^)
アウガのHPへ
食べた後、ホテルに入り、一息つくことにした。

三内丸山遺跡
休んだら、元気がでてきたのでとにかく三内丸山遺跡へ行くことにした。
青森駅からバスで15分程度のところにある。青森市が野球場を造るときに、でてきた巨大縄文集落の遺跡である。だから、発掘現場のカタチは「野球場」に似ている。今も続けられている。
遺跡に着くと、団体さんが何組か来ていた。まずは遺跡の見学からだ。まずびっくりしたのは巨大な柱だ。まるで「櫓」のようだがそれにしてはでかすぎる。発掘当時「穴」がでてきたので穴の深さで計算したのだろう。この形も諸説入り交じっているらしい。
他、竪穴式住居の復元や、地層の保存している建物(発掘したのをそのままドームをかぶせるカタチで保存)や、墓などをみた。
私も昔、少し発掘にふれた時期があったが、当時に比べて保存の仕方は格段に進歩しているし、国宝級のものがよくでる”近畿”と比べて遺跡を行政も含めて大切に扱っているのを感じた。(近畿はだめや。。行政が全然あかんわ・・)
またボランティアを募って、観光客に遺跡の説明をしている仕組みも気に入った。世の中には(私も含めて)考古学ファンは多い。行政はお金かからへんし、ボランティアの人は好きなコトについて教えてあげられる(マニュアルから逸脱しない範囲で)。観光客はただで知ることができるし、質問もできる。きつつきも考古学ファンの血をたぎらせてしまった・・。
目を皿のようにして閉館ぎりぎりまで観た後、バスに乗って市内へ帰った。早速本屋へ直行し、東北関連と三内丸山遺跡の本を購入。 さすが地元は本が山ほどある♪

東北のお酒♪
東北っつたら、酒だわなぁ〜♪(→アンタ昼しんどかったんちゃうのん???)とまあせっかくなのででも体調悪いし、、でもちょっとだけ( ^▽^;;)っつーことで居酒屋へ行きました。ローカル地元誌「ふぃーらぁ」参考にして「小政酒道場」といういかにも地元密着型〜の店です。
やっぱ東北のお酒は伏見とは違って、端麗辛口だわ〜。私は「安東水軍」が気に入りました(イエウマページ見てね♪)魚もおいしーーい♪ニシンが特に気に入ったよん♪
その後、「鳴海屋」へ行って珈琲を飲み、帰りました。美味しかったよ♪(京都以外のお店見てね♪)

10月28日青森〜(電車)〜弘前〜
あっさ〜♪結構元気モードなので、気になる喫茶店「マロン」へモーニングを食べに行きました。詳細は京都以外のお店で見てください♪
お昼には弘前市に着きたいので、電車に乗った。ちょっと退屈な景色・・。でも、リンゴ園がたくさんあり、珍しかった〜。(京都やったら茶畑?が 変わってるのかな?)
弘前市到着。駅自体は青森よりも小さい。でも駅周辺は、青森市より新しい感じ。せっかくなんで、弘前市の繁華街も行こうかとうろちょろ・・。
電車に乗っている時にツレ殿に聞いたんだけど、青森市は「ねぶた」で弘前市は「ねぷた」って言い方するの?なんかお祭り時も微妙に違うらしい・・どうして変わったのかな?→捜しているうちにあおもりインフォメーションへ到達♪

弘前城下
弘前市に着いて、まずは腹ごしらえだ!(食べてばっか・・)「高砂」という弘前城近くの蕎麦屋を目指し、てくてくと歩いた。
開発途上らしき繁華街をてくてくと歩くと、ふと「履き物屋」に目がとまった。どうも和装履き物専門店らしく、閉店するので大セールを行っていた。
きもの好きのきつつきは思わず入店。もうおわりかけらしく、だいぶ品数は減っていたが、な、なんか、、この草履、変・・?雨用の草履ばかり・・???不思議に思い、
店の人に「これは雨用草履ですか?」と聞くと、雪用ですよとのこと。雪国の人は珍しくもなんともないそうだが、雪の滅多に降らない地方なので私は全然知らなかった・・。
(正しくは京都にもあるかもしれないけど、普段着る人が激減してるので需要はやはり少ないだろう・・)
定価1万5千円を3000円で購入♪みぞれの日にでも使おうっと♪
裏はゴムだし、しっかりしているので普通の雨用よりよさげ
→ちょっといいでしょ?(^o^)

弘前城近くに蕎麦屋「高砂」はあった。大きな民家を改造したのかな?という店構え。入るとすごい混みぐあい。席が多いので座れたが、そばがくるまでかなり待った。その代わり待った甲斐はあった。えらいおお◎(*^^)v
腹ごしらえをしたところで、近くの弘前城へ行った。一部庭は有料なのでそこをはずし、上までてってと上る。お城って桜がたくさん植えられてるんですね。ここ弘前城も桜がたくさんありました。
ちょうど紅葉シーズンなので桜の葉が真っ赤に染まり、とてもきれい。でも桜の時期はもっと見事だろうなぁ〜と思いました。
途中、歩いて駅まで行くときには少し小雨が降り出しました。さすがにさぶいよ〜〜
でももう少しで東北とも離れるのかと思うと、さびしー感じ。ものすごく広いので、回ったのもちょっと観光地の表面をみた程度。車いるな・・と の思いを新たに・・(→で、誰が運転するんだろう・・)
夕方5時すぎ発車なので、最初駅弁を探したんだけど、弘前駅にはない・・うっそーーだ!青森にはあったのに・・。駅弁を買う方、注意しましょう。私は悲しかったよぉ・・。(T-T)でも、駅ビルの上階にあるトンカツ屋さん、結構まともで満足できました。

夜行列車「日本海」
予約時、「禁煙車」がとれなかったので「喫煙」で覚悟していました。が、超ラッキーなことに、隣が修学旅行生たち。少々うるさいですが、万一たばこなんか吸ってたら思いっきり注意できる(爆)ので安心していました。なのでぐっすり眠れました(^-^)
10月29日弘前〜(夜行電車)〜京都
あっさ〜♪無事に京都駅に着き、家に帰って荷物を置く余裕もありました。その足で職場へ・・ぐっすり眠ったのもあって結構元気でした。でも旅行の終わりってさびしいですよね・・・。
ホント東北旅行、楽しかったです。食べ物風景人々、、交通の便が悪いのが玉に傷ですが、そんなのもどうでもいいくらい楽しかった。 ホントまた行きたいです〜♪

東北のおみや♪
「はとや製菓」のソフトりんご。。。リンゴの輪切りをそのまんまフリーズドライ!優しい甘さがオススメです♪
「アトピナエース」。。。青森は「ひば」の産地。ひばのけずりかすを袋に詰めて入浴剤に!おみやげにあげたら「お湯がくさらない」「森林浴が楽しめる」と大受け♪

〜旅行情報〜
(1)・・中尊寺:天台宗東北大本山。山号関山。慈覚大師を開山(開基850年)
(2)・・大町桂月:文学家・評論家。本名は大町芳衛(1869-1925・明治2年-大正14年)。
蔦温泉旅館にて没。辞世の句「極楽の越ゆる峠の一休み蔦の出で湯に身をば清めて」
(3)・・九條武子:歌人(1887-1928・明治20年-昭和3年) 西本願寺法主大谷光尊の娘。歌集「金鈴」を出版。
十和田湖に関して「琅かんの玉をとかして未だ足らずなにを秘めたりやこの湖のいろ」と詠む
(4)・・弘前城:津軽氏の居城。別名鷹岡城。桜で有名。(ほかのお城を知りたい方は→日本最古の丸岡城、日本の天守閣巡りへようこそへどうぞ。

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